千駄木の高台は文人達の安息地。

「谷根千」と聞くとイコール「下町」のイメージが強いと思いますが、千駄木の高台にある住宅地は山の手と言えるでしょう。特に大きくて広い住宅が林立しているこの地は高級住宅地と言っても過言ではありません。ここに住んでいた文人達は本郷の樋口一葉、石川啄木に代表される、貧乏と隣り合わせの文人達と違い金銭的にも余裕のあった文人の様に思えます(一部を除く)。森鴎外の観潮楼などは遠く海が見えていただけでなく、眼下の下町・谷中をも見おろしている場所に在り、ある意味この地は多くの文人達の憧れの地だった様な気がします。

高村光雲・豊周遺宅

森鴎外観潮楼跡夏目漱石旧居跡旧安田楠雄邸

森 鷗外
森 鷗外(1862年(文久2年)- 1922年(大正11年))小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監)、官僚(高等官一等)。従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり・りんたろう)。

夏目 漱石
夏目 漱石(1867年(慶応3年) - 1916年(大正5年))小説家、評論家、英文学者。『吾輩は猫である』『こゝろ』などの作品で広く知られる、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の文豪。大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大卒業後、松山で中学教師、熊本で五高教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、帝大講師として英文学を講じながら「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。その後「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。朝日新聞社に入社し「虞美人草」「三四郎」などを掲載。「修善寺の大患」『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。

サトウ・ハチロー
サトウ・ハチロー(1903年(明治36年) - 1973年(昭和48年))詩人、童謡作詞家、作家。本名は佐藤 八郎。別名に、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、並木せんざなどがある。旧制早稲田中学校中退。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。

寺田 寅彦
寺田 寅彦(1878年(明治11年) - 1935年(昭和10年))物理学者、随筆家、俳人であり吉村冬彦の筆名もある。高知県出身。

川端 康成
川端 康成(1899年〈明治32年〉 - 1972年〈昭和47年〉)小説家。大阪府大阪市北区生れ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表的作家として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品を発表し、1968年(昭和43年)に日本人では初となるノーベル文学賞を受賞した。

幸田 露伴
幸田 露伴(1867年(慶応3年) - 1947年(昭和22年))小説家。別号には蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など多数。江戸下谷生れ。娘の文も随筆家・小説家。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。

北原 白秋
北原 白秋(1885年 - 1942年 )詩人、童謡作家、歌人。本名は北原 隆吉。詩、童謡、短歌以外にも、新民謡の分野にも傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表するなど、活躍した時代は「白露時代」と呼ばれる近代の日本を代表する詩人である。弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を、北原正雄は写真系の玄光社を創業。

高村 光雲
高村 光雲(1852年(嘉永5年) - 1934年(昭和9年))仏師、彫刻家。幼名は光蔵。高村光太郎、高村豊周は息子。

高村 光太郎
高村 光太郎(1883年- 1956年)彫刻家、評論家、詩人。東京府下谷区出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」。本職は彫刻家・画家と言えるが、『智恵子抄』等の詩集が有名になり教科書にも掲載されるようになったため、詩人として認識されることも多い。評論や随筆、短歌の著作もある。弟は鋳金家の高村豊周。

佐藤 春夫
佐藤 春夫(1892年(明治25年) - 1964年(昭和39年))小説家、詩人。1909年から『スバル』『三田文学』に叙情詩、傾向詩を発表し、識者の注目を集める。神奈川県都筑郡に移り『病める薔薇』を『黒潮』に発表。1919年にこの後半を書き足した『田園の憂鬱』を完成させ『中外』に発表、1921年に『殉情詩集』を発表し、小説家、詩人として広く認められる。また『新青年』誌などで多くの推理小説を発表。

林 芙美子
林 芙美子(1903年 - 1951年)小説家、詩人。物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に名作がある。『冬の林檎』『絵本猿飛佐助』『浮雲』。

岩田 専太郎
岩田 専太郎(1901年 - 1974年)画家。連載小説の挿絵を多く手がけ、数多くの雑誌・書籍の表紙で美人画を発表した。昭和時代の挿絵の第一人者として知られる。