谷中霊園

谷中霊園は、東京都台東区谷中一丁目にある都立霊園。旧称の谷中墓地と呼ばれることもある。面積は約10万平方メートルで7,000以上の墓がある。15代将軍・徳川慶喜や鳩山一郎・横山大観・渋沢栄一なども眠る。

谷中墓地と称される区域には、都立谷中霊園の他に天王寺墓地と寛永寺墓地も含まれており、徳川慶喜など徳川氏の墓は寛永寺墓地に属す。写真はどことなく懐かしさを覚える石屋さん。

徳川慶喜の墓所には葵の紋が燦然と輝く。
徳川慶喜は言わずと知れた徳川家最後の将軍でした。

谷中の大仏様
江戸時代、元禄3年に天王寺前身の感応寺の住職・日遼が鋳造したもの。今は大仏様越に高層ビル2棟がそびえる。

天王寺
天王寺は谷中霊園入口の天台宗の寺院。正式名称は「護国山尊重院天王寺」。五重塔を東京都に寄贈した。

五重塔跡。
幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった五重塔跡がある。この五重塔は1957年に谷中五重塔放火心中事件で焼失する。

駐在所
谷中霊園のもうひとつの名物は駐在所。日本の警察では郊外や過疎地域・山間部・離島などで警察官が常駐する場所を駐在所と言うが、23区内で駐在所があるのは大変珍しい。

徳川慶喜公案内板。
近年、徳川慶喜のお墓を見学にくる方々が増加していますがあまりの広さのため、迷う人が続出。案内板も整備された、

ニコライの墓。
日本正教会の創建者のニコライは修道士名で、カサートキンは姓。日本ではニコライ堂のニコライとして親しまれた。神学大学生であった頃、在日本ロシア領事館附属礼拝堂司祭募集を知り、日本への正教伝道に駆り立てられたニコライはその生涯を日本伝道に捧げた。

お墓案内板
谷中霊園は多くの著名人が埋葬されています。以前は資料を元にこれらのお墓見学をしていましたが、今は主立った墓には墓に眠る人の写真と略歴が記された看板がある。

谷中霊園の井戸
かつて谷中霊園内にも幾つかの井戸が在りましたが現在は水道に変わっています。霊園近くの花屋さんではまだ井戸は現役。この井戸も水を使ってお墓参りです。

さくら通り
谷中霊園は桜の名所としても有名。中央の道は「さくら通り」とも呼ばれている。桜が咲く頃は桜のトンネルのようになります。

花重
正式名称は「生花 老舗花重」。創業明治3年の創業でとても歴史ある花屋さん。建物は国登録有形文化財に指定”されています。

竹ぼうき 
今となっては珍しい「竹ぼうき」。霊園内の掃除には一番最適な様です。こんな何気ない光景に気が休まります。

谷中霊園の著名人墓碑
谷中霊園の桜通りの一角に「谷中霊園・著名人墓碑」なる案内板を見いだす事が出来ます。谷中霊園は明るくて公園の中を歩いている様。この看板でお墓ウオッチしたら如何ですか?